校区の概要

   隈庄校区の概要

 

昭和30年に旧隈庄町・豊田村・杉上村の1町・2村が合併して城南町となる。本校区は、旧隈庄町と旧豊田の一部からなる。校歌に歌われているように東に阿蘇の山々、西に雲仙普賢岳を望み益城平野を見下ろす城ノ鼻公園の下に学校は位置する。旧隈庄町は、明治22年4月1日に町制をしき、以来、下益城郡北部における産業文化の中心をなしていたが、鉄道(鹿児島本線)・国道(3号線)が川尻・宇土経由となったため、東に取り残されるような形となり、現在に至っている。

 平成22年3月23日に熊本市・植木町と合併し、熊本市の最南端となる。

 本校区の特色は、14世紀初頭まで隈牟田庄と呼ばれていたが、16世紀以降は隈庄という略称で呼ばれるようになった。現在の地に町並みが形成された時代は、鎌倉時代の後期頃で、校舎の北に位置する台地に「城の鼻」城が築かれた。そのあとは、城下町・職人町・市場町として栄えるようになった。地域の政治的中心地区は、本校区の宮地地区であったと言われている。豊臣秀吉の九州征伐の際には、対島津家の最前線として隈庄城が当時の城主甲斐家より提供されている。その際、下田の大イチョウを豊臣秀吉が褒め称えたという話が残っている。現在も、下田の大イチョウは、紅葉の季節になると見事な紅葉を見せている。このように、古い文化と伝統に育まれた土地柄である。

 産業の中心は農業である。水稲栽培と麦栽培が主に行われている。しかし、全国的な減反政策の実施によりその占める割合は年々低下している。また、近年では畜産・果樹・園芸などの多様化しているが後継者等の不足など全国的な課題と同様な状況である。

 校区内には、国道266号線の城南バイパスが走っており、熊本市から宇城市方面へ通過する車両が多く、交通事故の発生もこの地域で多い方であり、児童の交通安全に対する指導や保護者等への啓発については、旧城南町時代から重点取組事項となっている。

 校区の人口の増加等については、近年(平成前後)になって、合併前の熊本市の通勤圏内として宅地や団地等の住宅造成が進み、本校区においても新興住宅街が増えて旧住民と新住民との触れ合いが進み、新しい地区の特性をそれぞれの地域で作り出している段階である。このような状況から、平成20年以降は、児童数についても増加傾向になっている。また、本校区には、市立幼稚園1・私立保育園3がありほとんどの児童が、その卒園児として入学してくる。

 

 

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