校歌

 


 

一、大阿蘇は  東はるかに

  煙たつ嶺 望みつつ

  心にあつく ひびかせて

  みんなたゆまず はげもうよ

  りりしく強く 山ノ内

二、ふるさとは 緑の台地

  竹の林に 風わたり

  文化のいぶき うけとめて

  みんな輪となり 進もうよ

  心豊かに 山ノ内

三、学びやは われらのほこり

  英知をみがく 師と友と

  けやき若葉の 伸ぶように

  みんなもとめて 学ぼうよ

  理想は高く 山ノ内



校歌についてのホームページ掲載許可を得ています。

 

○ 今一度、校歌に込められた思いを考えて見ましょう

 

30周年を機に、本校初代校長であり校歌の作詞者でもある宮崎康親先生に
「校歌誕生のエピソード」と「校歌に込めた思い」をあらためてお伺いしました。
宮崎先生は現在(平成30年)も多方面でご活躍です 。
 宮崎先生は1930年(昭和5年)天草に生まれられ、今年83歳になられますが、
現在も、熊本県美術家連盟副会長、銀光会会長、東光会審査委員、
城北高等学校再建委員として多方面で活躍されています。2010年(平成22年)には
熊本県芸術功労者表彰を受けられました。

校歌の歌詞は一般公募だった

山ノ内小学校においては、校歌も校章もPTAの方々にも呼びかけて一般公募しました。
歌詞には4人の応募があり、作者名を隠して、校内の選考委員会で審査しました。
審査後、作者名を発表したときには、どよめきが起こりました。きっと、意外だった
のでしょう。

 

この曲が歌えたら小学校の歌唱指導は、できたようなものだ

作曲は、当時学校音楽を一番よくご存じだった、故勝木家安先生にお願いしました。
先生は、私の中学・高校の1年先輩で子どもの頃から知っておりました。また、30代の頃に
碩台小学校で数年間同勤し、音楽専科として、合唱指導に懸命に努力されていた姿が目に
焼き付いておりました。さらに、数年後、熊本市の教育委員会で、私は図工の指導主事、
勝木先生は音楽の指導主事として再び同勤することとなり、苦楽を共にした仲でも
ありました。作曲ができて、歌唱指導に来られた折言われた「この歌が、うまく歌えるように
なったら、小学校の歌唱指導はできたようなもんだ。」という言葉が、今なお耳に残っています。

校歌に込めた思い

一番(天)

 活火山、世界の阿蘇の燃える炎を、自分の胸にひびかせ、目標に向かって、努力を続ける
姿を期待し、お願いの気持ちを込めています。

二番(地)

 私は、初任が健軍小学校でした。当時は、今の山ノ内小学校区からも健軍小学校に
通学しておりました。家庭訪問にも何度か歩いて行きました。その頃、この一体は竹林の間に
畑と民家が点在している感じでした。江戸時代には、細川家の武術訓練所があり、その後、
昭和8年、この付近一帯が県立の農業試験場になり、広大な緑の茶畑が広がっていました。
当時、私たちも遠足の折りにしばしば利用させていただいていました。かすかな、そよ風
でも感じ取る、笹の葉のような繊細な感性をもって文化を受けとめ、豊かな心を育てて
ほしいという願いを込めています。

三番(人)

 逆三角形に天に伸びる「けやき」のように、師弟・友人手を取り合い理想に向かって
伸びていってほしいという希望を込めています。

 

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