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木原地区

 右に巨石、左側を壁とした間0.15m、奥行き2.3mの石室が露出しているが、天井石を欠き、羨門部が破壊されている。この付近一帯は、古墳時代から奈良朝にかけて有力な集落地帯であった。

 2月、木原不動尊の境内で、木原不動尊の大祭がある。その際、一年間の健康を祈願して火渡りの荒行事が行われる。一般人も、火が消えてから渡ることができる。木原太鼓の競演なども合わせ、この時期の歴史的行事として有名である。

「富合の愛のシンボル、なだらかな、木原の嶺よ〜♪」と校歌に歌われた雁回山は、私たち町人にとっては心のふるさとであり、歴史と伝説の山である。昭和31年5月5日、熊日選定25景の一つとして、その風景が認められ、広く県民にもしたしまれている。

 木原城跡の後方、仙人獄のふもとに大岩窟がある。以前は、洞内にコウモリがせい息していた。昔、鎮西八郎為朝が在城の時、武器や食料を蓄えていたと伝えられている。

 木原不動尊の境内にあって、鐘は、昭和30年10月奉納された。(九州産交kk)その横には、大きな枝を広げたソメイヨシノ科のしだれ桜が立っている。春、優雅に垂れ下がった枝に咲いた花は、参拝者の目をひく。

 日本三不動尊の一つといわれる木原不動尊の大祭は、2月28日朝から施行される。参拝と荒行の見物をかねて、九州各地から参拝人が押し寄せ、参道も境内も人の波でうずめつくされる。本堂前では、呼び物の「火渡り」、 「湯立て」の荒行が行われる。信者たちが「家内安全」などを願って火渡りを行ったあと、煮えたつ大釜の湯を浴びる「湯立て」の荒行が演ぜられる。

 放牛という僧が、熊本市を中心に玉名、菊池、上益城などの町角や道路の分かれ道に建てた石地蔵のことを「放牛地蔵」と読んでいる。ほとんどの地蔵に番号がつけてあり、107番まで確認されている。地蔵の特徴として船形の光背がついている。形には地蔵立像と地蔵座像がある。 写真は、両手に宝珠を持つ地蔵立像である。

 木原野の谷にあって境内の広さは6600u。天台宗に属し院号を尊乗院と号し、本尊は、不動明王、木像、立像厨子入りである。

 比叡山延暦寺の末寺で伝教大師の開基による西国第一の談議所と言い伝えられている。金綿不動、火伏不動、水引不動として有名で日本三大不動の一つ。
 数十段の石段の上に建てられている。門の左右には、丈九尺余りの仁王像が二体おかれている。2月の大祭では、境内で健康・安全を祈って「火渡り」「湯立て」などの荒行が行われる。

 守富荘の鎮守・六殿宮は、治承2年(1178年)平重盛による鎮座と伝えられている。10月9日の大祭には、古式豊かな神楽と流鏑馬(やぶさめ)が奉納される。

 この神社は治承2年(1178年)、平安末期に建てられた。武蔵国六孫王権現を観請したことに始まるとされる。昭和61年には天皇在位60周年を記念し、参道入り口に大鳥居が建立された。

 1549年に建てられた、かやぶき、屋根、複雑な組み合わせ、丸い柱など、室町時代の代表的な建物である。この楼門は国の重要文化材に指定されている。