第1回 寺子屋時代

第1回 寺子屋時代 (2025.7.2)

飽田南小学校の前身、護藤小学校は明治9年(1876年)に創立しました。学校ができるまでは、こどもたちはおそらく江戸時代より続く寺子屋制度によって、読み書きなどを学んでいたようです。
学校の沿革史には以下のようにあります。

初め寺子屋教育時代に於いては 手習い師匠として医師大淵氏 専行寺橘氏 龍王社の山部氏(神官)の宅に於いて 教授を受け居たりしが 明治九年字上護藤池沼堤の南側に小学校を創立し公立護藤小学校と称したり
当時尚草創の際なりしを以て其の建物たる実に草葺の拾七八坪にして固より遊歩場などの設もなかりき
…藤富尋常小学校 学校沿革調書より*現代仮名遣い及び常用漢字に直しています

 これによると、護藤方面の寺子屋は医師の大淵氏、専行寺の橘氏、龍王社の山部氏のところにあったようです。そして、学制が明治5年に出されたのを機に、全国に小学校設立の機運が高まる中、この地にも小学校ができることになったようです。

ここまでの?(はてな)

会富方面の寺子屋はどこにあったのだろうか。

 →学校では資料は発見できず。明治始めの地誌内「肥後国飽田郡会富村」に「人民共立小学校一箇所 本村の艮字千手にあり、生徒男66人、女5人。」との記載あり。

医師の大淵氏の邸宅はどこにあったのだろうか。

 →上屋敷にあったとのことでした。(2025/6/26情報)

専行寺【護藤】・・・現存する建物は、昭和になっての建立ですが、明治初めまで確かに寺子屋教育が行われていたそうです。

龍王神社【護藤】・・・当時は神官の居られる神社だったようです。山部という名字は、創立時の教員の中に見られますので、縁が深かったのかもしれません。

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