【校区の歴史】
春日校区の「春日」は、古い歴史を有する土地で、春日の地名は奈良時代この土地に設けられた「春日の屯倉(みやけ)」に由来すると言われている。
平安時代の初期、肥後の国府が二本木付近に移されると、春日の地に北岡神社・春日神社などが招聘されている。明治初期の春日は、戸数400戸たらずであったが、明治24年に春日停車場(熊本駅)が設置されると、周辺の開発も進み、戸数も増え、馬車の往来は激しくなってきた。大正10年、飽田郡春日村から熊本市に合併し、大正13年、市電が開通すると、戸数も次第に増え、市街の観をなすようになった。
【校区にある文化財】
春日校区には、史跡も多く、花岡山、万日山を中心に校区の散在している。社寺関係では、北岡神社、万日神社、春日神社、清原神社、岫雲院、来迎院、清水寺(長谷寺)、北岡高観世音等がある。石造物・記念碑では、花岡山の仏舎利塔陸軍墓地、阿蘇殿松跡碑、熊本バンド奉教之碑、加賀マリア殉教碑、その他細川忠利公火葬の地、通潤橋で有名な布田保之助、江戸中期の儒学者大野退野元熊本市長辛島格の各氏の墓がある。
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【校区の現在とこれから】
学校が設立されたのは、明治6年9月で、平成5年度に創立120周年を迎えている。昭和30年代児童数の多い時は、1600人を数えたが、国鉄が民営化された頃から減少が目立ち始めた。
校区では、日頃から子どもたちの健全育成を願って、PTAや児童民生委員の方々による朝のあいさつ運動、交通安全協会や地域の人々による交通指導、子どもたちへの声かけ等が積極的に行われている。熊本駅周辺再開発に伴い、まちの様子がこれから大きく変わろうとしている。
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