学校概要
1,概要
- 学校名
- 熊本市立御幸小学校(創立145年目)
- 位置
- 熊本市御幸笛田7丁目16番1号
北緯32度46分 東経130度39分 - 児童数
- 633人(令和2年5月1日現在)
2,校区紹介
校区の北側は国道3号線(通称「東バイパス」)がはしり、総合病院、大規模ショッピングセンターなどが営業をする変化が著しい地域にあります。東バイパスから学校にかけては都市化が進み住宅が建ち並び、さながら新興住宅地の様相があります。学校の南側には田圃がまだ多く残っており、熊本市の学校としては豊かな自然を残していて、校舎から見える田んぼの四季の移り変わりは心をなごませてくれます。
保護者、地域の方々には「学校のためなら」と協力していただいています。児童は明るく、人なつっこく、誰にもよく話しかけてくれます。また、素直で、優しく、あいさつなども自分から進んでする子が多いです。休み時間には多くの子が運動場で元気に遊んでいます。
3,学校名「御幸」の由来
明治35年11月13日、大演習ご統覧の明治天皇は、西無田付近で沿道の奉迎者の中に農婦に背負われた白髪の老婆をご覧になって早速、清浦法相(熊本県出身)に命じて調べさせられた所、同村、田中茂二太の母ヤヲ(88歳)が娘ジュン(55歳)に背負われて拝観していたものと分かった。
天皇は、老婆の健康と娘の孝順をよみとられ、わざわざ、徳久恒範知事を自宅に遣わして、お見舞いのことばとお菓子を賜った。地元部田村では、天皇の行幸を祈念して、同年末、御幸村と村名を改称することを村会で決め当局に申請した。翌年3月に内務省は官報をもって正式に告示した。明治36年 3月12日「御幸村」と改称するとともに明治36年 4月 1日、本校名を「御幸小学校」と変更した。
また同村では、大村村長、上村部田尋常小学校長らが中心となって大演習一周年当日、盛大に記念式を挙行し、「われらが住める村の名の はえあるゆかりを人や知る 明治の帝いでましし かしこきその名 御幸村」の御幸の歌を歌った。