校区の概要

校区の位置

 熊本市の東部、海抜40~70メートルの詫間大地の中央部に位置する。校区には、長嶺南の一部・戸島町の一部・月出6丁目の一部・小峯2丁目の一部などが含まれる。学校から市役所まで実測8、3㎞、車で約30分かかる。東に託麻東小学校、西は月出小学校、南に益城町(広安西小学校)、北は託麻西小学校に接する。また、校区の中央部を東西に県道戸島熊本線が走り、東部には南北に九州縦貫自動車道が通っている。さらに、平成11年には、学校の横を国体道路東西線が開通し、周囲の様相が一変した。(北緯32°48′33″、東経130度46′56″)

校区の地誌

 ここは託麻台地の中央に広がる地域で、白川が形成した洪積砂礫層の上部を火山灰が覆った扇状台地である。長嶺という地名は神園山山麓から南北に長くのびる緩やかな丘陵を称したものと思われる。水は深層地下水のため求めがたく、明治時代までは、託麻台地の95%が畑であった。しかし、昭和30年代後半、地下水のポンプアップによる水田化が進み、農業経営の多角化、酪農等の導入もなされてきた。最近では、住宅地としての開発が進んでいる。

校区の歴史

 長嶺地区は旧託麻村に属し、もともとは畑作農業地域で、麦・粟・大豆・甘藷などが主生産物であった。昭和35年の熊本空港開港後、熊本市に隣接する立地が注目され、都市化が進み、昭和45年に熊本市に併合された。昭和51年には300世帯の市営長嶺団地が建設され、付近に個人住宅も増え、宅地化が進んでいる。平成元年には、長嶺公園が整備され、町民の憩いの場となっている。
 戸島地区も旧託麻村に属し、畑作のほか酪農の盛んな地域である。昭和39年以降農業改善事業のパイロット地区に指定され、乳牛の飼育が盛んとなった。昭和45年には、熊本市に併合され、熊本市東部進展の一環として、漸次都市化しつつある。昭和48年に東部青果市場が、56年に県営戸島団地が建設された。最近では、高層マンションの建設も相次いでいる。
 長嶺校区は、平成3年の月出小学校分離に伴い、旧月出校区の一部と旧託麻東校区の一部、旧託麻南鉱区の一部が合わさってできている。平成3年4月の長嶺小、長嶺中の開校により校区周辺の都市化が加速され、国体道路東西線が学校の南側を通り、学校周辺の環境が大きく変わってきた。

人口の変動

 戸島北部および南部は畑作地が多く、住宅が点在しているが、健軍川の東側や県道沿いには住宅が集まっている。交通の便の良さ、新しい施設の設置などに伴い、個人住宅も増え、市営長嶺団地・県営西戸島団地・市営戸島団地などの大規模な公営団地、民間のマンション建設により人口が急増している。

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