校区の紹介

小島地区の様子

小島小学校がある小島地区の南東には、御坊山(おんぼうさん)という、うっそうとした雑木に覆われた小高い山があります。この山は、なまず伝説でも有名ですが、昔は海に浮かぶ小さな島だったため、この地に小島という地名がついたと言われています。

   御坊山(熊本市で一番低い山)

小島の地は、明治から大正の初期にかけて、熊本では最も早く文化が開け、海の玄関・商漁港としてすばらしい繁栄をみせました。また出船・入船の激しい中に、港町特有の集落をなした地でもあります。

明治5年に、天皇が小島の港にご臨港・宿泊された際、ここを文化振興の指針とし、明治7年小潟(しょうしゃ)小学校として創設されました。そのため本校敷地内には、臨幸記念碑が建てられ、その際宿泊された行在所(あんざいしょ)も保存されています。

   明治天皇行在所(地震後見学不可)

また、頼山陽や佐田介石といった先駆者の足蹟や、千金甲の古墳など、文化的にも歴史的にも意義深い土地柄でもあります。しかし、時代の推移とともに港としての面影はなくなり、産業としては農業や海苔養殖が主となりました。近年は、都市化の傾向も強くなり、職業も多様化して、共働きの家庭が増えてきています。

 松尾東地区の様子

松尾東地区は、熊本市の南西、熊本駅から4㎞西に位置にあって、学校は県道熊本~玉名線の松尾バス停留所から徒歩で25分、松尾川に沿って金峰山方面1,7㎞登った所にあります。本校区では、みかん類の栽培が盛んであるが、産業経済のの変化とともに、兼業農家やサラリーマン家庭の増加がみられます。

    2丁目公民館からの風景

学校に対する期待は大きく、協力的で、学校とともに児童を育てようとする雰囲気があり恵まれた自然環境のもと、学校・家庭・地域との調和のとれた教育環境が保たれていました。

松尾東小は明治9年4月に初等小学校として中原に創設されたました。その後、昭和30年に熊本市との合併後、熊本市立松尾東小学校となり、昭和54年に校舎改築や各種施設の完成などを経て、平成9年には子ども、保護者、それに地域住民とともに、手作りの120周年記念行事を行いました。 

その間、「国語教育」「歯科保健」「学校給食」などの研究発表を行っています。児童数漸減の傾向にある中、児童は、すばらしい自然環境と地域、長い歴史や伝統に育まれつつ成長してきました。(閉校前にホームページより)

松尾東小学校の歴史

 松尾西地区の様子

 松尾西地区は、熊本市の西部、金峰山のふもとにあります。西南には有明海が広がり、天気の良い日には長崎県の雲仙岳を望むことができます。坪井川と有明海に沿って国道501号が走り、交通量が多くなっています。梅洞や近津の付近は昔は海で、江戸時代に干拓が行われて田んぼや畑となっています。

   干拓によってできた梅洞地区(権現山から)

田んぼには金峰山からきれいな水が豊富に流れて、湧き水も見られます。中でもいんの川は熊本水遺産に指定されています。

  豊かな湧き水(いんの川)

 地区の東側は山地が広がっています。日当たりや風通しが良いので、その斜面にはみかん畑がたくさん作られています。西側は海を干拓してくくられた土地で、水田が広がっています。米のほかに野菜栽培やメロンなどのビニル園芸も行われています。

 田んぼが広がる近津地区 奥は金峰山

 また、有明海での沿岸漁業やのり養殖もさかんです。かっての百貫港(今の要江港)は加藤清正が作らせた港で、島原・天草・長崎・大阪方面から荷物を運ぶ船で大にぎわいしていました。松尾町と田崎町を結ぶ電車が15分おきに運転されていたほどです。明治時代に三角港ができるまでは熊本県の重要な港として栄えていました。

  現在は船が減ってしまった松尾の港(要江)

 松尾西小学校では、様々な自然を生かし、探鳥会や、学校林活動、有明海の干潟調査を行っていました。また、地域の特産物である海苔やみかん、タマネギ農家の方々への取材活動なども行っていました。さらに、昭和61年には健康教育の全国優秀校として表彰を受けるなど健康教育にも力を入れていました。

   松尾西小学校の歴史

 

松尾北地区の様子

松尾北地区は、熊本市の北西部にそびえる金峰山(665m)の中腹に位置し、豊かな自然環境の中にある学校です。1年を通じて野鳥の鳴き声が聞こえ、春にはミカンの白い花、秋には実りのオレンジ色で全体が彩られます。

  みかん畑が広がる松尾北(雲厳禅寺より)

宮本武蔵が『五輪の書』を書き著した霊巌洞のある「岩戸観音」や、五百羅漢等の史跡も点在し、県内外から多くの人が訪れます。

 宮本武蔵が五輪書を書いた霊厳洞

旧松尾北小学校は、児童数9名の極小規模校で、学校でのいろいろな活動を、学年の枠をとりはずしながら縦割り班で行っていました。少人数の利点を生かして、上級生をリーダーとした子ども同士のつながりや、子どもと教師の人間的なふれあいを大切にしてきました。

栽培から販売までを体験する「まつきたマーケット」や、プロの演出家をお招きして取り組む「芸術表現体験活動」など、学校独自の取組を通して、笑顔輝く松北っこの育成を目指していました。 

松尾北小学校の歴史

 

 

 

 

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