学校紹介
本校は、明治42年、熊本県の教育刷新をめざしたモデル校として創設され、110年以上の歴史をもつ。
校区は白川に沿って熊本市のほぼ真ん中にあるが、旧城下町ではなく、明治になって新しくつくられた街である。
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本館は昭和11年(1936年)に建築されました。当時としては数少ない鉄筋の建物でした。熊本市内の小中学校では現存する最も古い建築物です。関東大震災後のとても厳しい建築基準で建てられており、熊本地震の際もびくともしませんでした。昭和二十年の熊本大空襲の折には白川小の敷地内も含め周囲はすべて焼け野が原になったにもかかわらず、本館だけはその災禍にも耐えました。2階の理科室前には、焼夷弾で焼けた柱が残されています。玄関から3階に続く堂々たる中央階段は、白川東京同窓会の方をはじめご老齢の卒業生が、これを見るために今でも訪ねて来られるほどの本校の象徴的な遺産です。 |
本校の創立前、この地に、時習館や江戸昌平黌で学んだ栃原知定が開いた「栃原塾」という私塾がありました。当時「栃原塾」の横に立ち、塾生に涼しい木陰をつくっていたのが、この大榎です。この「栃原塾」からは、2024年に千円札に掲載される北里柴三郎や、元熊本市長・辛島格、熊本高校初代校長・野田寛などたくさんの優れた人が輩出されています。「夕鶴」の作者である木下順二や東海大学の創立者である松前重義も、この大榎の下で遊んでいたに違いありません。 |