よしの百年桜

子どもたち そして地域住民の心の拠りどころ

本校には「よしの百年桜」(通称百年桜)と呼ばれるソメイヨシノの古木があります。百年桜は学校のシンボルツリーであり、代々の卒業生からも親しまれています。その間、百年桜は子どもたちの成長巣立ちを見守ってきました。

そのため、学校にとどまらず地域にとっても心の拠りどころとなっています。開花の時期には卒業生や登山客が観覧に訪れます。

※【取材】令和3年3月にTKUテレビくまもと様が満開の百年桜の様子を取材されました。

※【取材】令和7年3月にRKK熊本放送様が春の離別を見守る百年桜の様子を取材されました。

 

幾多の困難を乗り越えて

の後、平成20年代に樹勢の衰弱が目立ち始めました。そのとき公益財団法人日本花の会(本部 東京)の「学び舎の桜を救おうプロジェクト」に指定され、樹木医の先生の助言等で土壌改良等を行いました。そのころに始めた「桜の授業」は今も続いています。「桜の授業」は百年桜の歴史を学び、施肥等のお世話をする授業です。「桜の授業」は今でも続けており、百年桜は樹勢を取り戻しつつあります。令和5年の厳冬期には保護者の方がテングス病の枝を剪定して切り口に薬剤を塗布してくださり、また、翌令和6年には樹木医の先生にエアースコップで根元の土をほぐす樹木治療を施していただきました。おかげで現在も毎春見事に花を咲かせ続けています。

【取材】令和6年2月に日本花の会様が第2回「桜の授業」の様子を取材されました。その後、日本花の会の会報誌(令和6年春号)にて紹介されました。

 

熊本地震の復興支援に貢献

熊本地震の際は、「芳野桜を守る会」の皆さんの支援の下で百年桜の接ぎ木を育苗し、復興支援として苗木を甚大な被害の出た地域へ贈りました。平成29年3月には南阿蘇西小学校を訪問し、植樹しています。5年後の令和4年7月には、当時1年生だった令和3年度卒業生の皆さんからお礼のメッセージとコスモスの種が届きました。メッセージは翌日の児童集会で運営委員長の6年生が全校児童に紹介し、喜びを共有しました。そしてコスモスは「南阿蘇西小『復興の絆』コスモス」として根付き始めています。このように、百年桜は、心と心を結ぶ役割も果たしています。

【取材】令和7年3月に震災復興関連でNHK熊本放送局が百年桜と子どもたちの様子を取材されました。

 

リンク先は本ホームページの管理外となります。

南阿蘇西小学校ホームページ 「学校生活」7月12日「嬉しい連絡 『南西小ありがとうプロジェクト』」 令和4年7月12日掲載

 

地域に愛されてきた百年桜

百年桜は、旧3校が合併して芳野小学校がこの地に開校した1921年に植樹されています。当時は多くのソメイヨシノがありましたが、1939年に起きた校舎火災の影響で大半が枯死しました。現在残っている2本のうちの1本も、本体が弱ったもののその下部から伸びた新たな幹が命をつないでいます。

平成初期、校舎の新築工事がありました。当初の予定では、2本の百年桜は伐採されることになっていたそうです。その際、地位の方が中心となり、伐採中止のお願いをされたところ、計画が変更になり2本とも残されました。そのときの活動で中心となった地域団体が母体となり、その後「芳野桜を守る会」が結成されたそうです。

上記のように、満開の時季になると校区内外から花を愛でに来校される方がいらっしゃいます。本校卒業生の方も多く、ご家族やお一人で来校されます。写真の方は、令和6年の3月末に来校されました。昭和40年代の卒業生でいらっしゃいます。百年桜を愛でながら小学校時代に思いを巡らせておられました。

お帰りの際に残された「ふるさとといえば小学校ですよ。」というお言葉がとても印象的でした。

 

特製ポスターを制作しました

令和6年2月、第2回「桜の授業」に合わせて、特製ポスター2種類を制作しました。ポスター制作の目的は、①子どもたちが授業で学んだ百年桜のことを家族や親せきの人に説明するため②近隣公的施設等に掲示させてもらって多くの市民の方に関心を持っていただくため③令和7年度には本校が創立百五十周年、百年桜が植樹百四周年を迎えることを知ってもらうための3点です。

ポスターをご覧いただいた市民の皆さんが、花を咲かせた百年桜を愛でに訪れていただければ幸いです。

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